
知りたいK-POPの歴史 # episode 3
K-POPの歴史は長くて深いです。特にK-POPと日本のつながりには深い歴史があります。今日は、日本でK-POPがここまで広まるきっかけとなった伝説の始まりを振り帰ってみたいと思います。
今では第3世代、第4世代と分類されていますが、当時、彼らはK-POPの最前線に飛び込んだ勇気ある存在でした。今では芸能事務所たちのノウハウが蓄積されていますが、当時はゼロから始めたと言えるでしょう。
もちろん、K-POPの日本進出の幕開けを告げたBoAがいますが、今日は2世代アイドルグループの最初の一歩をご紹介します。
余談ですが、ドッゴは幼稚園と小学校低学年の時にBoAのファンクラブであるJumping BoA(日本ではSOULと呼ばれています)のメンバーでした。この話は今後の記事でちゃんとご紹介しようと思います。
東方神起 (TVXQ)

東方神起(TVXQ)は、K-POPに興味がない人でも一度はその名前を聞いたことがあると思います。文字通り、まるで東方の神が誕生したかのような存在です。東方神起は、日本でK-POPがメジャーになった今も、唯一の非日本人歌手として、日産スタジアムコンサートを行った例外的なグループだからです。
実は、東方神起の日本デビュー当時の姿は、今とは全く違うものでした。BoAの成功にもかかわらず、K-POPの地位は日本では高くありませんでした。当時のBoAは、「韓国からの歌手」というよりも、日本の女性ソロシンガーというイメージが定着していました。
そのため、韓国ではすでにトップアイドルとして絶大な人気を得ていたのにも関わらず、東方神起は日本での活動初期、地下アイドルのような過酷な無名時代を送らざるを得ませんでした。
東方神起は2004年末に日本で初めてデビューしました。しかし、2006年になってようやく初の全国ツアーを行い、動員数は今では信じがたいですが、1万5000人にも満たない数でした。
しかし、東方神起は決して諦めなかったのです。2007年には武道館でコンサートを開催し、2008年には「Purple Line」で、初めてオリコン週間ランキングで1位を獲得する快挙を達成しました。
そして2008年にリリースした「どうして君を好きになってしまったんだろう?」が日本で大ヒットを遂げ、現在の地位を手に入れるようになったのです。
こうして並べてみると、日本での無名時代があまり長く感じられないかもしれませが、東方神起は韓国でのデビュー当初からアイドルの頂点に立ったグループです。そのため、日本での活動とのギャップに悩んでいたでしょう。
実際、東方神起のメンバー全員は、2006年~2007年頃、日本での活動をやめることを内部で真剣に話し合ったことがあると語っていました。
それにもかかわらず、東方神起の成功は今も続いています。なにしろ、日本では今でも話題になるK-POPアイドルの一つですからね!
KARA

KARAはK-POPブームの先駆けとなった、圧倒的な存在感を誇るアイドルです。KARAの最盛期を思い出すと、K-POP(当時は韓流と呼ばれていました)にとどまらず、日本のガールズグループと肩を並ぶほど圧倒的な人気を誇っていました。
韓国の女性アーティストとしては初めて東京ドームの単独コンサートを行ったのがその証拠です。当時、伝統ある紅白歌合戦にも単独で出場し、その人気を明らかにしました。
KARAの日本での成功ストーリーには面白い点が多々あります。先に紹介した東方神起とは異なり、無名時代が長くなかったことです。KARAは、日本デビュー前からすでに話題となっていたK-POPグループです。
日本デビュー前の2009年に、すでに日本で彼女たちの名前を掲げたラジオを行ったことがあり、ミュージックビデオも紹介されました。
実は、KARAの日本デビューが早まったのは、劇団ひとりの宣伝のおかげなのです。劇団ひとりは、まだデビューもしていないKARAを様々なバラエティ番組で取り上げ、宣伝・紹介するなど、KARAの知名度向上に大きく貢献しました。
ハン・スンヨンはKARAが日本でデビューできたのは劇団ひとりのおかげだったと語っていました。当時、KARAは日本デビューの予定すらなかったのですが、劇団ひとりがKARAの宣伝を続けることで、事務所はそのチャンスを掴んだそうです。
KARAは劇団ひとりの宣伝とともに、大きな努力を重ねることで日本に定着するようになりました。KARAは日本デビュー当初から通訳を伴わずにバラエティ番組に出演するなど、日本語力にも優れていたからです。もちろん、これはメンバーたちの努力の賜物とも言えるでしょう。
KARAはその後も成功への道を歩み、今も「Jet Coaster Love」、「GO GO Summer」は愛され続けています。
BIGBANG

K-POPといえば、BIGBANGを外せません。
日本でのBIGBANGの人気は、かなり不思議な現象でした。BIGBANGはバラエティ番組やテレビ放送活動に積極参加しなかったからです。後になってそれぞれのメンバーがバラエティ番組に出演するようになりましたが… それはあくまで個人の活動によるものでした。
BIGBANGはメンバー全員でバラエティ番組への出演などはしなかったので、親しみやすさとはほど遠いイメージがありました。
しかし、それが成功の秘訣となったでしょうか。BIGBANGは日本で知られる前から、日本の芸能人たちの間では、いわゆる「芸能人たちの芸能人」になっていました。日本活動を始める前から、自然にアーティストとしての道を切り拓いたのです。
BIGBANGが日本で正式にデビューしたのは2009年ですが、すでに2007年に日本のマイナーな音楽市場に進出し、知名度を高めてきました。この時から、日本の芸能人の間では徐々にBIGBANGの名前が広まるようになりました。
日本人の中には、このような形でBIGBANGを知った人が結構いるようです。特に、AKB48の神7メンバーたちがBIGBANGのファンであることを公言することで、K-POPに興味のない男性たちにも知られるようになりました。
このようにBIGBANGは、カリスマ性のあるグループとして、女性ファンだけでなく、男性ファンにも愛されるようになりました。特に「FANTASTIC BABY」は、日本のクラブシーンでも大ヒットし、アイドルに全く興味のなかった人にも興味を持たせることができました。
「FANTASTIC BABY」は、2018年1月13日を基準とし、Billboard JAPAN HOT 100に76週連続でランクインするなど、圧倒的な人気を集めました。この曲は、ドームツアーのきっかけとなった曲でもあります。
その中でもG-DRAGONは、韓国を超えてアジアを代表するファッションアイコンとなり、日本の男性ファンをたくさん生み出しました。G-DRAGONは今も、たくさんの男性ファンに愛されている人気アイドルです。
少女時代

少女時代の日本デビューは少し遅い方でした。韓国では2007年に、日本では2010年にデビューしました。
少女時代の日本デビュー当時、韓国ではすでに人気絶頂でした。そのため、少女時代はデビュー前から日本でもファンが多かったです。
実際、2010年の日本デビューショーケースは1回の予定でしたが、大好評につき1日に3回公演へと変更するなど、彼女たちの底力を発揮したのです。
特に少女時代は、女性ファンの割合が高かったです。男性ファンも多かったですが、少女時代の日本のファンはほとんど女性で、その割合は80~90%に達するほどで、男性アイドルと比較しても非常に高い数値でした。
これは、SMエンターテインメントが見込んでいた結果でした。日本でデビューする前に公開された会議では、「女性ファンにアピールすれば、男性ファンは自然についてくる」という意見もありました。つまり、SMエンターテインメントは女性ファンをターゲット層に設定したのです。
SMエンターテインメントの見込みは見事に的中!しかし、これほどのブームを引き起こすことは想定外だったのか、メンバーたちも女性ファンの熱狂的な支持に驚いたそうです。
少女時代は多くの女性ファンから愛されるガールズグループとして話題となりました。メディアに取り上げられるようになり、男性の注目も集めました。その後、女性ファンと同じくらいの数の男性ファンも生まれたのです。
少女時代は日本の女性から憧れられる、スタイルの良いアイドルグループとして知られるようになりました。特に、美脚を最大限に活かし、モデルのようなイメージを打ち出したのです。まるで女優のような美しい顔、モデルのようなすらっとした脚、圧倒的なダンスの実力の3拍子を揃えた究極のアイドル。
それに、メンバーそれぞれが個性を持っていて、どのメンバーを応援しても幸せになれる要素があったので、その人気は当然のことだったと言えるでしょう。
その後、少女時代は2013年に、20公演のアリーナツアーを大成功させました。そのツアーは現在でも、K-POPのガールズグループの単独ツアー史上最多観客数として記録されています。2014年には初めて東京ドームに立ち、平日にもかかわらず、全席完売という快挙を成し遂げました。
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