タイムラインで見る「ミン・ヒジン - HYBE間のADOR経営権紛争」事件 - 1/3
みんさん、こんにちは!Kitto運営チームのジョセフです。
最近、韓国を熱くさせた話題があります。エンタメニュースを扱うKittoチームもこの事件を見逃すわけにはいきません。正否を問わず「ミン・ヒジン - HYBE間のADOR経営権紛争」事件をタイムライン形式で見てみようと思います。
◎ ミン・ヒジン代表、HYBEに入社
平社員から役員まで、そしてHYBEへの移籍
始まりは2019年まで遡ります。ミン・ヒジン代表は2017年、30代後半の若さでSMエンタテインメントの取締役にまで上り詰めた人物です。公開採用の新入社員としてスタートし、昇進だけで大手企画会社の役員という座を手に入れ、エンタメ界の「イ・ミョンバク(現代建設の平社員から社長、第17代韓国大統領に上り詰めた人物)」という評価を受けることもありました。 その後、2019年には一種の燃え尽き症候群によりSMエンタテインメントを退社し、同年7月1日にビッグヒットエンタテインメントに合流しました。
◎ HYBEのCBO(Chief Brand Officer)を辞任し、ADORのCEOとして活躍
HYBEからADORへ
ミン・ヒジンがHYBEのCBOに就任した際、以下の3つのミッションを与えられたと言われています。ミッションは次の通りです。
- ビッグヒットエンタテインメントのリブランディングプロジェクト
: Big Hit Entertainment → HYBE - ガールズグループのローンチ
: SOURCEMUSICと協力してガールズグループをデビュー - 新しいレーベルの設立
: ADOR
ミン・ヒジンはブランド総括として、HYBEへの名称変更やブランディング、空間デザイン、新本社の設計にも積極的に参加したと言われています。また、当時の「ビッグヒットエンタテインメント」には女性練習生がいなかったため、傘下のレーベルであるSOURCEMUSICから2021年にデビューするガールズグループのローンチを主導し、その中の一部のメンバーをADORに移してデビューさせました。このグループが現在のNewJeansです。
(しかし、HYBEの最初のガールズグループはSOURCEMUSICのLE SSERAFIMであり、NewJeansはその次にデビューしたグループとなりました。後にミン・ヒジンは記者会見で、このプロセスも順調ではなかったと明かしています。)
ミン・ヒジンは最終的にこれらのミッションを完遂し、HYBEのレーベル傘下にADORを設立、自らCEOとしての役割を拡大することになりました。
◎ ADORからNewJeansデビュー、以後HYBEのキャッシュカウとなる
ニュージーンズ、大成功を収める
BTSの軍入隊で重要な資源が抜けた状況で収益を創出する有力なレーベルとして成長したADORは、NewJeansを先頭にHYBEで占める売上比率を増やしています。所属歌手はNewJeansだけですが、「大ヒット」を記録し、2023年にはADORの売上高と営業利益はそれぞれ1103億ウォン、335億ウォンと、HYBE連結実績で5%、11%の比率を占めています。
単なる売上実績以外にも、NewJeansが持つブランドイメージと商品性はさらに明るい展望を示しています。独特のコンセプトと高評価される楽曲、優れたビジュアルと実力、若いにもかかわらず圧倒的な成長速度と追加成長の可能性など、デビュー直後から様々な社会現象を巻き起こしたグループとなりました。
一般のファン層だけでなく、関連業界からも大きな関心とラブコールを受け、デビューから3ヶ月も経たないうちに100以上の広告出演要請がありました。既にメンバーが各自高級ブランドのアンバサダーとなり、広告やファッション業界の至る所でNewJeansの影響力が広がっています。
国内だけでなく、海外でも人気が急上昇しています。2023年1月18日、「Ditto」がビルボードホット100に96位でランクインしました。他のアイドルグループが通常、デビュー後数年にわたってファンダムを築いてからビルボードに入るのに対し、NewJeansの記録は異例だと評価されています。
最新の2024年5月31日、ビルボードが選んだ21歳以下で最も影響力のあるアーティスト21人「21 Under 21」にNewJeansが含まれました。K-POPアーティストの中で唯一このリストに名を連ね、韓国最高のグローバルアイドルの一つになることは間違いありません。
◎ ミン・ヒジン-HYBE、株主間契約とその後の再交渉の間で綱引きをする
2023年末、インセンティブ契約から始まった対立
NewJeansの大きな成功の影響でしょうか。ミン・ヒジン代表は、ADOR設立時、NewJeansのデビュー後、2023年12月にインセンティブのための持分交渉を進めました。通称プットバックオプション(市場価格とは無関係に指定された価格で持分を売り返す権利)と呼ばれる権利を3回にわたり交渉してきましたが、金額は次の通りです。
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1次契約(完了):ADOR設立時、ミン・ヒジンのADOR持分15%にプットバックオプション13倍適用
: 約737億ウォンの価値
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2次契約(完了):ニュージーンズデビュー後、ミン・ヒジンのADOR持分15%条件維持+プットバックオプションなしの持分5%追加
: 約1,000億ウォンの価値 -
3次契約(一部受け入れ、一部決裂):2023年12月ミン・ヒジンの要求案でADOR持分15%条件維持だが、プットバックオプション30倍適用要求(決裂)+5%持分プットバックオプション適用(受け入れ)
: 全体要求案受け入れ時には約2,400億ウォン以上の価値
結論として、HYBEはミン・ヒジン代表にインセンティブ利益だけでなく、側近を含めて約18%に相当する持分を譲渡したことは事実ですが、ミン・ヒジン代表が問題行動を取らないように契約に追加条項を挿入したと伝えられています。競業禁止条項によりミン・ヒジン代表が競合他社に移籍したり独立するのを難しくした部分以外にも、HYBEは逆にミン代表が保有する持分を買い取ることができるコールオプションも持っています。
ミン・ヒジン側は自身が契約の修正を再度要求すると、HYBEが突然経営権簒奪疑惑をメディアに報じ、「ミン・ヒジン潰し」に乗り出したと主張しています。2029年までHYBEに8年間勤務しなければ行使できないように変更された契約に従い、その時期があまりにも遅いと奴隷契約だと表現したこともあります。
一方でHYBEは、市場価格よりはるかに多くの利益をもたらす可能性がある5%プットバックオプション追加適用に伴う自然な条件であるという立場です。すべての事件の始まりは、昨年末からこの契約案件を中心に交渉が行われていた最中、両者間の感情の溝が深まり、ここまで至ったと言っても過言ではないです。
👉タイムライン編は続編の第2編に続きます。
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